この日最後の地は、会津鶴ヶ城。

鶴ヶ城と言えば、以前に会津に来た時、飯盛山から眺めましたが、実際に訪問するのは初めてのお城です。

飯盛山といえばご存知の方も多いと思いますが、新政府軍に敗れて、やっとのことで郊外の飯盛山へと落ち延びた白虎隊(会津藩の部隊)が、燃える市中の火をみて、鶴ヶ城が落城したものと勘違いしてその場で自刃した場所です。
その中には、まだ10代前半の若い隊員もいたという、悲しいお話です。

さて、鶴ヶ城は、新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、その後降伏しその姿を残して開城となりました。
残念ながら、明治7年までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊され、現在の天守閣は、昭和40年に再建されたものです。

お城の横の道を進むと、お堀の向こうに綺麗な紅葉が見られました。

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もう会津は紅葉は終わっているかと思っていたので、見れて嬉しかったです。

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駐車場に車を停めて、案内板を見ながら、天守閣へ向かいます。

天守閣は壊されたけれど、石垣やその建物の跡は、在りし日のまま残っています。
この石垣は、鶴ヶ城のいろんな歴史を、そこに居て見てきたんだなあ…と思い、感慨深かったです。

でもなんだか、私が知ってる鶴ヶ城と違う…

写真で見た時は、白い壁に黒い瓦が印象的でしたが、赤瓦になっていました。
実は幕末当時は赤瓦だったそうで、平成23年に屋根瓦を幕末当時の赤瓦にふき替えたのだそうです。

赤瓦というと、私は島根県の津和野あたりの赤瓦を思い出しますが、そちらほど鮮やかな赤ではなく、渋い赤でした。

会津は豪雪地域なので、瓦が凍み割れてしまうため、瓦に水分が染み込まないよう鉄分入りの釉薬を施釉しました。そのため、焼き上がりが赤くなったようです。

島根県も、同じ理由で赤瓦なんですかね…

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これが本当の在りし日の相なのね…
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戊辰戦争の戦火の中で、相次いで時守か放火を浴びて亡くなっても、開城の間際まで正確に時を告げる鐘を鳴らし続けたとのことです。

城内の紅葉は美しかったけれど、お城の受付時間が迫っていたので、じっくりは見ずに天守閣に入りました。

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紅葉と天守閣
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石垣と紅葉
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慌てて撮っているので構図がイマイチ
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イチョウも綺麗な黄色です

鶴ヶ城の中は五層になっていて、一層(1階)から順に歴史を辿っていく感じです。

鶴ヶ城は、幕末の戊辰戦争野イメージがあるけれど、室町時代から続くお城です。
安土桃山時代には、蒲生氏郷が会津領主となり、今より高い7層の天守をつくり、この時に鶴ヶ城と命名したそうです。

1643年(嘉永20年)、徳川第三代将軍家光の弟、保科正之が入城します。
これ以降、徳川家のお城として幕末まで続きます。

結構じっくり見てしまって、五層(最上階)についた時には、すっかり暗くなり、展望どころかすっかり会津の夜景でした。
しかも、けっこうな雨が降っていて寒かったです。

ちょっとがっくりきたけど、新しいiPhoneで撮った写真は、肉眼ではよく見えない、綺麗な風景を撮ることができました。

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ミュージアムショップで、お土産に赤べこを買おうかと思いましたが、それなりの値段でしたので買わなかったです。

鶴ヶ城の御城印をいただいたのですが、

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この御朱印と一緒に、赤べこの説明の紙が入っていました。

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やっぱり赤べこ(本物)買ってくればよかった…
ちょっと後悔しました。

まあ、予備のお土産(半分以上自分のものにする予定)で、これ買っちゃったんですけどね。

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さて、気づけば辺りはすっかり暗くなってしまいましたが、そのおかげで、ライトアップされた鶴ヶ城を見ることができました。

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照らすライトの色や角度で、微妙に違って見えるけど、どれも美しくて、ひとつに絞れず全部載せてしまいました。
みなさんは、どの色の鶴ヶ城が好きですか?

こうして会津を後にし、郡山に戻り、この日は郡山に宿泊しました。

こうして、1日かけて福島県内の観光をしてきました。

また会津に行く機会があったら、その時は張子の赤べこを買おうと思います。